大阪市西成区太子にある松乃木大明神(まつのきだいみょうじん)には猫塚が建てられています。
猫塚とは、猫のお墓のことを意味します。
なぜ、大阪市西成区の松乃木大明神には猫塚があるのかが気になって調べてみました。
この記事では、松乃木大明神についての歴史・猫塚が建てられた背景を解説していきます。
ちなみに、松乃木大明神のご利益は、スポーツ・諸願成就・技芸上達です。
「技芸上達」のご利益あるとされる理由が本記事でわかるかもしれません。
- 松乃木大明神の歴史
- 猫塚が建てられた背景
- 近松門左衛門という人物
ぜひ、最後までご覧ください♪
松乃木大明神とは
松乃木大明神は明治34(1901)年に創建されました。
大阪の明治34年といえば、二代目「大阪駅」がほぼ今ある現地(大阪市梅田)の位置に建てられました。今でいうJR大阪駅ですね。
日本全体で見ると、日本の産業改革が急速になり、官営八幡製作所が操業開始したとされています。
官営(かんえい)とは、国営ともよばれ政府が経営することです。
戦前は、大門通駅や南海電鉄の飛田本通駅があったそうですよ。明治34年の西成付近は栄えていたみたいですね。
西成に松乃木大明神が創立した理由は定かではありません。
松乃木大明神のご利益である技芸達者に因んで、毎年11月22日・23日には今池本通商店街で、近松猫塚芸能祭を開催しています。
そして、松乃木大明神が創建した3年後の1904年2月〜1905年9月にかけて日露戦争が繰り広げられました。
戦後は西成付近に処刑台があったそうですよ。
松乃木大明神を前にして右手には、薬師如来が祀られています。
神社の中に仏さまが祀られているのは、珍しいですよね。
松乃木大明神に猫塚が建てられた背景
明治45年(1912)年1月16日に、難波新地乙部遊郭が全焼する大火事が発生し、廃業や移動を迫られたそうです。
のちの大正5年(1916)年に松乃木大明神を含む地域一辺は、飛田遊郭(新地)が築かれ賑わい始めました。
飛田遊郭の規模はなんと22,600坪。22,600坪は東京ドームの1.5倍の面積です。
大正7年(1918年)には開業され100件あまりの妓楼(売春宿)が並んでいたとされています。
相当賑わっていたのが伺えますね。
そして、飛田遊郭では猫の皮を剥いて作った三味線(しゃみせん)で芸をしていたそうですよ。
そのため、松乃木大明神にある猫塚は三味線の胴の形をしています。
猫の亡骸を供養するために遊女たちがお金を出し合い建てられたのが、松乃木大明神にある猫塚というわけです。
現在では考えられない時代の背景ですよね…。
あれ?猫塚が造られた前から松乃木大明神はあるってこと?
年号から察するに猫塚は、松乃木大明神が創立された何十年もあとに造られたようですね。
松乃木大明神はのらねこのスポット?
私がお伺いした日には、3匹の猫さまがいました。
飛田本通商店街が近くにありますが、普段はあまり人がこないのか少し警戒されました。
1枚目の猫とお顔がそっくりです。
私の気配を察知して隠れようとしていましたが、ばっちり写真撮影できました。
近松門左衛門の石碑
松乃木大明神には近松門左衛門の石碑が建てられています。
近松門左衛門は1653年に生まれ、1724年(享年71歳)に死去されました。今でいう映画・ドラマ監督の立ち位置だったのでしょうか。
人形浄瑠璃(文楽)作品で数々の代表作を生み出してきた人物だそうです。
たとえば代表作の1つ「曾根崎心中」。曾根崎心中は本物の事件を題材に作られました。
曽根崎といえば、大阪市北区にあるお初天神があるあたりです。
近松門左衛門は以下の2つに所縁がありました。
それでは、近松門左衛門の所縁をサクッとみてみましょう。
曾根崎心中
元禄16(1703)年に堂島新地天満屋の遊女「お初」と平野屋で手代を勤める「徳兵衛」が恋仲になり、お初天神の社の裏手で心中した事件が起きました。
事件の1か月後には近松門左衛門が「曾根崎心中」というタイトルを発表したところ大きな話題となったそうです。
今では恋人の聖地とされているお初天神。
お初天神は松乃木大明神から、車で20分ほど走った場所にある大阪市北区の曽根崎お初天神通りに位置します。
気になった方は足を運んでみてください♪
名前 | 露 天神社(お初天神) |
住所 | 〒530-0057 大阪府大阪市北区 曽根崎2丁目5-4 |
地図 | |
アクセス | 谷町線東梅田から徒歩2分、 JR大阪駅から徒歩10分 |
詳細 | 公式サイト |
人形浄瑠璃
人形浄瑠璃文楽は、江戸時代の日本を代表する伝統芸能の1つ。太夫や三味線、人形が一体となった芸術です。
人形浄瑠璃は簡単にいうと操り人形みたいな感じでしょうか。あまり馴染みがないですよね。
実はこのお人形で芸をする文楽は今の時代にも受け継がれています。
近松門左衛門と義太夫節の作品で、人形浄瑠璃文楽が全盛期を迎え竹本座が創立されたといわれています。
※竹本座は今は跡地になっています。
【大阪】西成の松乃木大明神にある猫塚は何のために創られた?松乃木大明神にまつわる歴史を調べてみたまとめ
住所 | 大阪府大阪市西成区太子2丁目3 |
地図 | |
営業時間 | 不明 |
駐車場 | なし |
御朱印 | なし |
アクセス | 阪堺線:今池駅から徒歩2分、 御堂筋線:動物園前駅から徒歩8分 |
詳細 | 公式サイトなし |
御堂筋線:動物園前駅前から徒歩8分
松乃木大明神は、少しわかりづらい場所に位置します。
足を運ばれる際は、住宅がある路地を通るので注意してください。
猫の供養のために、松乃木大明神にある猫塚を造られたと思うと、その時代の雰囲気が伝わってきますね。
ご覧くださりありがとうございました。